第14回の報告
2024年5月4日(土)
星野隆三のメッセージ
旧約聖書における「やすらぎ(平安)」とは?
ヨブ記
12:7〜10 しかし獣や鳥に聞いてみるがよい。彼らが答えてくれるだろう。
大地や海に尋ねてみるがよい。彼らが教えてくれるだろう。
彼ら皆、知っている。
全てが主の御手の業であることを。
命あるものは皆、すべてが主の御手の中にある。(現代訳)
22:21 さあ、あなたは神と和らぎ、平安を得よ。
そうすれば 幸いがあなたのところに来るだろう。
詩篇
4:8 平安のうちに私は身を横たえ、すぐ眠りにつきます。
主よ、ただあなただけが、安らかに、私を住まわせてくださいます。
29:11 主は、ご自分の民に力をお与えになる。
主は、ご自分の民を平安をもって祝福される。
119:165 あなたのみおしえを愛する者には、豊かな平安があり、つまずきがありません。
箴言
14:33 知恵は悟る者の心のうちに安らぎを得る。
愚かな者の間でもそれは知られている。
3:17 知恵の道は楽しい道。その通り道はみな平安である。
エレミヤ書
6:16 主はこう言われる。
「道の分かれ目に立って見渡せ。
いにしえからの通り道、幸いの道はどれであるかを尋ね、それに歩んで、
たましいに安らぎを見出せ。
29:11 わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている
──主のことば──。
それはわざわいではなく平安を与える計画であり、
あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
ゼパニヤ書
3:17 あなたの神、主は、あなたのただ中にあって 救いの勇士だ。
主は あなたのことを大いに喜び、
その愛によって あなたに安らぎを与え、
高らかに歌って あなたのことを喜ばれる、と。
新約聖書における「やすらぎ(平安)」とは?
〜イエス・キリストのやすらぎのことば
マタイの福音書
6:25〜34
空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めること
もしません。
野の花がどうして育つのか、よく考えなさい。働きもせず、紡ぎもしません。・・・
ですから、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、心配しな
くてよいのです。
あなたがたに これらのものすべてが必要であることは、あなたがたの天の
父が知っておられます。
まず神の国と神の義を求めなさい。
そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。
ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。
苦労はその日その日に十分あります。
11:28〜30
すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたも わたし
のくびきを負って、わたしから学びなさい。
そうすれば、たましいに安らぎを得ます。
マルコの福音書
5:25〜34
十二年の間、長血をわずらっている女の人がいた。
彼女はイエスのことを聞き、群衆とともにやって来て、うしろから
イエスの衣に触れた。「あの方の衣にでも触れれば、私は救われる」
と思っていたからである。
すると、すぐに血の源が乾いて、病気が癒やされたことをからだ
に感じた。イエスは周囲を見回して、だれがさわったのかを知ろう
とされた。
彼女は自分の身に起こったことを知り、恐れおののきながら進み出て、イエスの前に
ひれ伏し、真実をすべて話した。
イエスは彼女に言われた。
「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。
苦しむことなく、健やかでいなさい。」
ヨハネの福音書
14:27
わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。
わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。
あなたがたは心を騒がせてはなりません。
恐れてはなりません。
16:33
これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためで
す。世にあっては苦難があります。
しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。
20:19
イエスが復活した日曜日の夕方、弟子たちがいたところでは、ユダヤ人を
恐れて戸に鍵がかけられていた。
すると、イエスが来て彼らの真ん中に立ち、こう言われた。
「平安があなたがたにあるように。」
こう言って、イエスは手と脇腹を彼らに示された。
弟子たちは主を見て喜んだ。
イエスは再び彼らに言われた。
「平安があなたがたにあるように。」
20:26
八日後、
弟子たちは再び家の中におり、トマスも彼らと一緒にいた。
戸には鍵がかけられていたが、イエスがやって来て、彼らの真ん中に立ち、
「平安があなたがたにあるように」と言われた。
それから、トマスに言われた。
「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。
手を伸ばして、わたしの脇腹に入れなさい。
信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
くびき
1-イエス・キリストを全能の神と100%信頼する
〜 これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を
得るためです。
世にあっては苦難があります。
しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。
ヨハネ16:33
*どのような時も:病や苦難や試練にあった時でさえ、イエス・キリストが
持っている=赦しの力・憐れみの心・愛の心・癒しの力・励ましの言葉を
信じて頼る
2-イエス・キリストの愛に生きる
〜「神は、その独り子イエス・キリストを世に与えられたほどに、世を愛された。
だから、彼を信じる者は皆、滅びることなく、永遠の命を得る。」ヨハネ福音書 3:16
〜「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。
愛は自慢せず、高慢になりません。
礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、苛立たず、
人がした悪を心に留めず、不正を喜ばずに、真理を喜びます。
すべてを耐え、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを忍びます。
愛は決して絶えることがありません。」 コリント人への第一の手紙13:4-7
*イエスキリストの愛は、無条件で、自己犠牲的で、普遍的な愛です。
この愛を実践していきましょう!
3-イエス・キリストといつも「祈り」で繫がっている
〜いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について感謝しなさい。
テサロニケ人への手紙第一5:17-18
〜わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。
人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、
その人は多くの実を結びます。
わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。
ヨハネの福音書15:1-5
*イエスが父なる神といつも一緒だったように 私たちもイエスと共にいましょう。
出典:しまね観光ナビ
4-聖霊に委ねて生きる
〜 その方、すなわち真理の御霊が来ると、
あなたがたをすべての真理に導いてくださいます。
御霊は自分から語るのではなく、聞いたことをすべて語り、
これから起こることをあなたがたに伝えてくださいます。
ヨハネの福音書16:13
〜助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、
あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべての
ことを思い起こさせてくださいます。 ヨハネの福音書16:13
〜人々があなたがたを、会堂や役人たち、権力者たちのところに連れて行ったとき、
何をどう弁明しようか、何を言おうかと心配しなくてよいのです。
言うべきことは、そのときに聖霊が教えてくださるからです。 ルカの福音書12:12
5-聖書のみことばを信頼する
(1)旧約聖書
〜神にあって 私はみことばをほめたたえます。神に信頼し 私は
何も恐れません。
詩編56:4
〜私はあなたのみことばを心に蓄えます。あなたの前に罪ある者
とならないために。
詩編119:11
〜あなたのみことばは 私の足のともしび 私の道の光です。 詩編119:105
〜みことばによく通じた者は幸いを見出す。主に拠り頼む者は幸いである。箴言16:20
〜私はあなたのみことばが見つかったとき、それを食べました。そうして、あなたの
みことばは、私にとって楽しみとなり、心の喜びとなりました。 エレミヤ15:16
(2)新約聖書
〜良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いて受け入れ、30倍、60倍、100倍の実を
結ぶ人たちです。マルコの福音書4:20
〜みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあっ
て御国を継がせることができるのです。使徒の働き20:32
〜生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。
それによって成長し、救いを得るためです。 ペテロ第1の手紙 2:2
〜みことばを守っている者なら、その人のうちには、確かに神の愛が全うされている
のです。それによって、私たちが神のうちにいることがわかります。ヨハネの手紙第一2:5
6-イエス・キリストに仕える
〜人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの
代価として、自分のいのちを与えるために来たのです。 マルコの福音書10:45
〜わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。
わたしがいるところに、わたしに仕える者もいることになります。
わたしに仕えるなら、父はその人を重んじてくださいます。 ヨハネの福音書12:26
〜このようにキリストに仕える人は、神に喜ばれ、人々にも認められるのです。
ローマ人への手紙14:18